アニメのゆくえ2011→

時間帯の問題はどうなるのか

――実際のところ、今、アニメにとっていい放送時間帯とはどこなのでしょう?

藤津:今の状態だと、夜の23時とか0時くらいの、浅い深夜帯だと思いますね。

――たしかに、Twitterなどを見ていても、深すぎる時間帯はタイムシフトで観ている印象をうけます。

藤津:それも「テレビはどこ行くのか」という問題なんですね。境真良さんという経産省の方が『テレビ進化論』(講談社現代新書)で書いてらしたのですが、録画機が出て以降の新聞のテレビ欄は「解禁日程表」になっているんですね。つまり、「その時間以降ならいつその番組を見てもいいですよ」ということで、オンタイムでテレビ番組を観る意味がなくなった。今、EPGで番組表と録画がダイレクトに連動もしているので、ますますその感覚は強くなっていますよね。そうなると、境さんへの取材でも話に出ましたが、テレビの将来の理想像は、「映像モニターに特化したコンピューター」、要は「CATVのセットボックスみたいになったパソコン+モニタ」みたいなものになる。そこではYouTubeも観られるし、ネット配信の動画も観られるし、もちろん普通のテレビ放送も観られる。すべてがシームレスにその中で繋がっているけど、使用感はあくまで従来の「テレビ」。そういうものにテレビが進化するのではないか? という境さんの予想に、僕も同意します。

――テレビが、電波の受信機ではなく、地球の何処かに存在するアニメにアクセスする端末になるわけですね。

藤津:そうそう。アクセスルートが今バラバラで、その状態だとテレビも上手く行かなくなるし、僕の印象では、配信も浮上しないと思うんです。課金の方法をどこかで一定金額で見放題という有料チャンネルに似た方向にシフトしないと、普及はしないでしょう。なぜなら、テレビに慣れた人の感覚がそうだから。WOWOWとか、そういったテレビの有料チャンネルというのは、番組にお金を払ってるのではなくて、「いつ見てもいいという権利」を、お金を払って手に入れているのではないかと思いますね。

――しかし一方で、そうした流れに抗うかのように、アニメ作品の広報担当さんやスタッフさんたちがTwitterなどで視聴者に向けて発信することで、オンタイムの視聴を後押しするケースも増えてきました。この点はいかがでしょう?

藤津:それも本数が増えた中で、作品を埋もれさせないための工夫ですよね。あと、今の視聴者は、見る作品を選ぶのではなく、見ない作品を決めるんですよね。いわゆる「切る」というやつですね。それをされないための工夫でもあると思うんです。

――たとえば、ニコ動で「踊ってみた」動画が上がることを想定して、ダンスのOP・ED映像を仕込む、などとも似た現象と言えるんでしょうね。作品にフックをつけるための工夫が昔よりも凝ったものになっている。

藤津:そうですね。よりシナジー効果が起きやすい状況になっていると思うので、投入するタマの種類を昔と変えてきているのだと思います。昔なら温泉回や水着回があるだけでよかったけど、今は違う、と(笑)。ですから、フックという考え方は一貫しているような気がするんですよね。クリエイターの情熱が発露してフックになるというより、計算されたプロデュースらしいものになっているというだけのことで。

――クリエイターの情熱が発露するというと、作画の暴走回なんかもそうですよね。でも最近はそれがフックになりづらい状況もある。『グレンラガン』や『鉄腕バーディー』の作画回が論争を巻き起こしたのも記憶に新しいですよね。

藤津:難しい問題ですね。ただ極論を言ってしまえば、作り手と観る人の意見は永遠に一致するわけがないんですよ。お互いに立脚点が違いますから。だから互いに、美しい誤解の範囲で相手を理解しあえるぐらいの距離感が丁度いいんじゃないかと僕は考えています。どちらかがどちらかの言うことを聞く、という距離感はよくないですよ。

――それはどういうことなのでしょう?

藤津:まず、クリエイターがいなくてはすべてが始まらない。その点において、クリエイターは“偉い”んです。でも、受け取る自由は見ている側にある。その自由が行使されたときに、クリエイターが怒ることも含めて、それはコントロール不能な、しょうのないことです。もちろんそこに礼儀の問題はありますが、ここではあくまで、礼儀は失していないという条件ですよ。礼儀の中で意見を言っても気分を害する場合というのはあると思うので。でも、その一方で、受け手の欲求に作り手が応えるのもダメなんです。それは、受け手が欲しいと思っているものを作り手がつくっても、受け手は「これは違う」と思うものだからなんですね。受け手が心のなかで欲しているのは、言葉にしているものとはちょっと違うものなんですよ。要は「○○みたいな作品が見たいよー」といっていながらその通りの作品がくると「マンネリ」とかひどいときは「パクリ」とか言うわけですね(笑)。なぜかというと、受け手は「感動の再現をおかわりしたい」けど、同じものをもらっても二度目の刺激は初回を上回らないから、必ず不満が残ることになる。だから、作り手は受け手の意向をほどよく無視(笑)し、受け手は作り手の意図をほどよく無視(笑)して作品をしゃぶりつくせばいいと思うんです。「作り手が間違っている」とか、「受け手が横柄だ」とか言い合っても何も始まらないと僕は思っています。『チャンネルはいつもアニメ』の『グレンラガン』の項でもこの問題は書いているので、合わせてお読みいただければ(笑)。

最後に/これから10年のアニメ

――色々と多岐に渡る論点を語っていただき、ありがとうございました。では最後に、少し個人的な興味関心に寄せる形で、藤津さんが今後10年のアニメに対して期待することを伺って終わらせていただきたいと思うのですが。

藤津:そうですね……、僕は基本「見たことがないようなアニメ」が見たいです。尖っていても、ゆるくてもいいですが。たとえば大人が楽しむような、あまりアニメの題材になっていないようなものを扱ったアニメが観たい、とは思いますね。アニメって、たとえば歴史を扱っても、そこにはアニメとしての味がどうしても出てくる。けして大河ドラマみたいなものにはならないんです。そういうアニメにどうしても生じてしまう違和感を使って、面白い作品ができるんじゃないかと思うんです。例えば、吉川英治の『宮本武蔵』って少年マンガみたいな呼吸なんですよね。そういうもののエッセンスが、なぜかロボットものとしてアニメ化されているとかですね(笑)。それくらいの感じで、いろんなものを貪欲に取り込んでいくのがアニメのいいところなので、今後も見たこともないアニメが生まれてほしいなと思っています。まあ、アニメ業界は優秀なスタッフの方が多いですからね。僕が考えるまでもなく、マクロとして業界は苦労があっても、ミクロの作品単位ではこれからも面白いものは出てくると思うんですよ。だからそこを心配するのは自分の仕事ではないかな、と思ってます。

――なるほど。では、その意味で、今後に期待されているクリエイターは?

藤津:次の10年だと、勝手に「65年組」と呼ばせていただいている’65年前後に生まれた監督さんたちが気になっています。具体的にいうと、神山健治さん、水島精二さん、水島努さん、谷口悟朗さんたちですね。湯浅政明さんもこの世代だし、あと少し年下になりますけど細田守さんもいます。この方々は、自分より少しだけ年上世代で、やはり気になりますね。みなさん、もう代表作と呼べるものは作っていて、年齢も40代半ばに差し掛かっている。そこから次の10年で、もう一作、大きい作品を作ってほしいと思っています。ヒット作なり、面白い作品なり、キャリアを活かして、円熟した形で次のステップへ登られるところを見たいですね。

――あらためてお名前が並ぶとすごいですね。

藤津:この世代のみなさんは、面白い人が揃っていると思っているんです。それぞれの仕事の傾向が多種多様なのもいいですよね。そんな人たちが、一斉にそれぞれの持っている方向性で、色々な作品を手がけられたら、すごくバラエティーに富んだアニメの世界が来るんじゃないかと思うんです。それを、もうテレビからチャンネルという意識がなくなった、「チャンネルはいつもアニメ」ではなく、「いつでもどこでもアニメ」状態になった世界で観る。そんなことを想像してみると楽しいですよね。

(2010年10月・渋谷カフェミヤマにて収録)

インタビュー:平岩真輔(twitter:@hiraiwa
構成:前田久(twitter:@maeQ



このインタビューは3.11の震災前に行われた。多くの制作会社やビジネス拠点の所在地でもある首都圏も巻き込んだ巨大災害の状況は、アニメやその製作者にも影響を及ぼすことになるのか? 改めて藤津氏にコメントをいただいた――。

短期のビジネスでいえば、東北地域におけるパッケージのセールスが下がるのは確実と思われるので、(大都市圏でかなりの割合が売れるのがアニメのパッケージの傾向とはいえ)それはトータルな数字にも影響を及ぼすと思う。

ただ内容については震災以前と以後で変わるかどうかは疑問。たとえば’95年や 9.11を境にアニメは変わっただろうか?  震災も同様で、作り手の心に影響を与えたのは確実だが、設定レベルでの反映といった表層上の影響をのぞけば、以前/以後という線できれいにわけら れるような形でアウトプットされていくかというとそれは違うように思う。

むしろ意識的にせよ無意識的にせよ「以前/以後」のラインを引いてみてしまうのは、視聴者である我々のほうではないかと感じている。(2011年7月追記)

チャンネルはいつもアニメ―ゼロ年代アニメ時評

アニメ誌『Newtype』と『アニメージュ』での足掛け7年にわたる連載から50回分のアニメ時評を1冊にまとめた時評集。状況論から作品論まで、著者の心の動きにも切り込んで作品を見つめる確かな視点は、2000年代のアニメを振り返るだけではなく、これからを考える上でも大きな参考になる必読の一冊です。
⇒藤津亮太『チャンネルはいつもアニメ―ゼロ年代アニメ時評』(NTT出版)をamazonで見る。

→blog 藤津亮太の「只今徐行運転中」
→藤津亮太氏twitter(@fujitsuryota

連続特集:アニメのゆくえ2011⇒

第1回 アニメ評論家 藤津亮太氏インタビュー「2011年もチャンネルはいつもアニメですか?」
第2回 サンジゲン松浦裕暁代表インタビュー「二次元からサンジゲンへ―3DCGで描くアニメのNEXT」
第3回 ニトロプラス代表でじたろう氏インタビュー「混沌のアニメ業界に輝くクリエイター集団の輪郭(エッジ)~これまでとこれから ニトロプラスの10年」
第4回 ウルトラスーパーピクチャーズ 松浦裕暁代表インタビュー「BLACK★ROCK SHOOTER 今から始まるウルトラースーパーピクチャーズの物語」

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