■キム・ヒョンテ・インタビュー
ゲーム「マグナカルタ」のキャラクターデザインを手がけたことで、日本でも人気の韓国人クリエイター、キム・ヒョンテさん。ぷらちなでは、日本と韓国でマンガコラムニストとして活躍している宣政佑(そん・じょんう)さんのご協力のもと、インタビューを行いました。国境を越えて注目されるアーティストの、これまであまり知ることができなかったお話を、前後編でお送りします。
――キム・ヒョンテさんは、日本語で読めるインタビューははじめてですか?
以前にもありますが、通訳を介していたので自分の思っていたこととは少し違う表現になっていた部分がありました。
――日本にもたくさんの「キム・ヒョンテ」ファンがいますが、ご自身について書かれている日本のウェブサイトを見たりはしますか?
日本のサイトで見ているのは、ほとんどお絵かきサイトだけです。自分について書かれているようなサイトがあるとは知りませんでした。読んでみたいですね(笑)。
――日本語は読めるんですか。
努力すれば、少しは読めるという程度です。最近はウェブで自動翻訳が使えたりするので、日本語の読み書きはずいぶんとやりやすくなりました。
――最近では、日本でも韓国のクリエイターの作品を普通に目にするようになりましたが、作品が生み出される状況の違いや、実際のクリエイターの姿については、まだあまり知られないようです。このインタビューが、キム・ヒョンテという韓国人クリエイターがどのような経験を経ていまに至るのかを、知ってもらう機会になればと思います。
よろしくお願いします。
――現在はイラストレーターとして活躍されていますが、最初はマンガ家を目指していたんですよね?
新人賞を取って、雑誌連載の準備もしていました。3、4回分の原稿を描きためていたんですが、いろいろな事情があって、連載にはいたりませんでした。
――鶴山(ハクサン)文化社とソウル文化社の二社で新人賞を取られていますよね。それはほぼ同時だったんですか。
いいえ。最初に鶴山(ハクサン)文化社で新人賞を取って連載準備をしていたのですが、没になったので……その原稿を持ってソウル文化社のほうに行ったんです(笑)。でも、ソウル文化社で受賞したときには、なんというか……すでにマンガというジャンルそのものに対してちょっと違うなと思いはじめていました。
――マンガ以外のことがやりたくなった?
もともとアニメーションやゲームに熱狂していたのですが、自分一人でできる表現ということでマンガの世界を選びました。でも、マンガを描いていてるうちに、自分にとってゲームこそが一番興味深いものじゃないかと感じるようになったんです。ゲームというメディアでもっとも印象的だったのは「インタラクティブ(双方向性)」ということです。ちょうどゲーム制作会社が増えてきた時期でもあって、これからはこのジャンルで何か表現できるんじゃないかと考えました。
――それでゲーム制作会社に入られたんですね。
『プリンセスメーカー』のような日本のゲームの韓国語版を発売していたMANTRA社を紹介されて、オリジナルゲーム作品のキャラクターデザインをやりました。結局、会社の経営が難しくなって、そのゲームは発売されませんでしたが……。
――その当時は、韓国のゲーム会社の多くがソフトを完成させるので精一杯だったころですね。
そうですね。あの頃は、ゲームのイラストもグラフィックデザイナーに「ちょっと描いてみてくれ」とかいっていたりしましたね。
――その後、すぐにSOFTMAX社に入られたのですね。
SOFTMAXは、ゲームのコンテンツ性――シナリオとか、キャラクターデザインを重視する会社だったんです。たとえば、マンガ家を起用してマンガ連載と同時にゲームを制作したり、日本人のイラストレーターであるTONYさんを起用して、『創世記伝(THE WAR OF GENESIS)外伝 TEMPEST』というゲームの原画を任せたりとか。そういうゲーム制作の様子を見て、「ここなら自分のやりたいことがやれるのでは?」と思い、一緒に仕事をしたいと考えたんです。
――ゲームの質やキャラクターデザインを重視する会社が出はじめてきた時期ですね。SOFTMAX社では、『TEMPEST』ではじめて製作に参加したんですか?
はい。『TEMPEST』というゲームでは、「現世」と「前世」という二つの時間が舞台になっています。「現世」に登場するキャラクターをTONYさんが担当されていたのですが、「前世」は違った雰囲気にしたいということで、誰か他にいいキャラクターデザイナーはいないか、ということになったんです。そこで、以前から知り合いだったSOFTMAX社のスタッフの紹介で、私が「前世」のイラストを担当することになりました。その後もいくつか発売されなかったタイトルのデザインとカラーリングをしながら色々と勉強をして、『創世記伝3』からメインキャラクターデザインを担当することになりました。