ライトノベル&イラストレーション外伝 消えたライトノベル作家その1 江古田東京砂漠にまぼろしのぶらじま太郎を見た!(総集編)

江古田東京砂漠にまぼろしのぶらじま太郎を見た!(総集編)

特別寄稿 ぶらぢま太郎

ひとひらの まだ散りもせぬ古木の元にたたづみて、君を待つ身の たおゆく時の 川のにほひと草木の音に ただ 悠久の 思いば走らせむ。   景願

景願(けいがん)
1827~1872頃 浄土真宗本願寺派の僧 書家にして思想家。 定寺を持たず、諸国を放浪し、真宗に限らず土地土地の寺に居を借りて、自由を説法し続けた異端の僧。 時代の仏教界では、本来有るべからず行動思想も、その人柄からなぜか許されていた。 最後は静岡県の伊豆地方にて病死。 その際死を見取った女性が、後の女翔景緒紀 で有名な景了尼である。

こんにちは。 ぶらぢま太郎 こと 武島功太郎です。
せっかくですので、すこしだけ、ここに補足させていただきます。

私が文学に目覚めたのは、関西で本願寺派の住職をしていた祖父の元で、中学生の時に見つけた 上記の巻物を目にした時から。 のような気がします。
現物が手元にないので、記憶で書きましたので、多少表現 文字使いが間違っているとは思います。
江戸後期の それほど高名でも無い僧の書いた 一幅の書が、10代の私にいかな影響を与えたのか。は、私にも不明です。
しかし読み解いてくれた普段とても厳しかった祖父の面影と共に、その当時の私としては難解な(文字も良く読めない)文章は、 いまだに はっきりと思い出せる程の 衝撃・・・ではなく、静かに心に染み込んだ、私の原点と言えるものと 思います。

なぜかその頃から、それまで読んでいた漱石 鴎外 北杜夫 遠藤周作 星新一諸氏から、 石原藤夫 安部公房 堀晃 スミス バロウズ ホーガン ハインライン クラーク アシモフ諸氏へと  嗜好が変わって行きました。 ぺ だけは人生終わってしまうので、手は出しませんでしたが。
結果 私はハードSFの人になって行ったのです。 それがなんで、こんなものを書いた? ですね。問題は。

友人伝手つてで、柄にもなくインタビュー(当日 会うまで何をするのかさえ知らずに出向いた。 だまされた。とは思わないが、 飲み会かと思っていたのだが)などと言うものを うけてしまい、酒の勢いだけ?で、思いつく事をぱらぱらとしゃべった事を まとめてくれたのが、当本稿であります。

が。 一言 言い訳ををさせて貰いたい。

本文を否定するつもりは無いし、訂正も入れるつもりも無いですが、正直多少 ニュアンス的に事実と異なっている事が 有ると思います。 それは私個人の思いこみの部分であったり、正式な裏の取れていない情報の受け売りだったり。の部分です。
はるか昔の事で、今さら。と言う処もあるので、もしこれを読んだ知人諸氏で、現実と異なる部分が有ると感じられたら、 それは御笑伏いただきたい。 私自身 細かく訂正を入れる気力も無いですし、酒の席での発言ですから。
また、旧友陣の仲間は、対等ではありましたが、やはり年齢的に多少の上下が有ったため、例えば ゆうきまさみ氏 重野秀一氏 井上伸一郎氏 中村氏などには、当時から敬語として、さん・大先生・ちゃん 等を付け 呼び捨てにはしていなかった「はず」であることを 当時から[ぶらぢま太郎]で無い部分では、常識人で生きてきた 自分自身の人生観として、明言させていただきたい。

ちなみに重野秀一氏とは、約13年ほど前?に、ささいな事から喧嘩になり、絶交状態が継続中です。
お互いに?大人になったのだから、しばらくしたらまた会ってみたいとも思いますが。
もっとも、絶交していないゆうきまさみ氏とも、電話ではたまに話しますが、実際にはここ数年会っていません。
井上氏は偉くなってしまった(のは私の中では関係有りませんが)ので、なんかこちらから努力してまで連絡を取る事は、 その気が無くても物欲しそうに思われるのも嫌なので?(実際にはそこまで考えていないし、自分自身も時間がない) 他の 偉くなってしまった人々同様 連絡がかなり取れていません。
やはり 各人で生活基盤が異なってしまっていますので、若かりしバカ丸出し 状態の維持は難しいものですね。

表題の【東京忍者】でありますが、これを私は、汚点とも代表作とも思っていません。
もっとも本文中にある程には、完結編を書きたい!!と言う 気力は有りませんが。(笑)
もっと一般受けするもの の方が、興味が有ります。 歳をとったからでしょうねえ。 あと エロとか。(笑)
インタビュアに伝え切れなかった部分としては、引用部分は上記では無く、 本当に 2行先がどうなるのか分からずに、かつ、前に書いた事はキレイに忘れながら、書いていた くだりと、 当時はワープロで サラリーマンのかたわら深夜のファミレスでキーを叩いていた。と言う事と、 ゲラ刷りチェックもまともに行わなかった(私のポリシーとして、原稿を渡したら、もうそれは私の責任ではない。 ちゃんとしたものにして発行しようが没にしようが、それは渡された方が判断する事)ので、結果として、 製本され書店に並んでから、1冊に赤修正を入れ、それを編集の白山氏に渡した。と言う記憶が有る 辺りのことです。 (普通そんなことをされたら編集は困ると思いますが、さすがは友人白山。おお、これはこれは。と受け取ってくれました) それを本業としている方々には失礼な事をした。とも(今となっては)思いますが、当時の私のスタンスでは、 そう言う恐れを感じない=別にどうなってもいいや=と言う 開き直りが有り、それが結果として、現代まで語られてしまう 【東京忍者】になったのだと思います。
もし私が、文章で食べていく決意をしていたら、小心者としては、毒にも薬にもならないような物を書いていたかも知れません。 もっとも、個人的趣味に走ると、詰め将棋のような、理路整然としたハードSFに走り、売れないまま失意の中消えていったような気がします。


んーーーーーー。 でさあ。 今 帰ってきたよ。おれだって。 こんなもん、HPに載せるよ。ってぇ、3日前に メール添付で送りつけてきて、こーせーなんか する気力も無いし、 だいたい 飲んだらもう、知ったこっちゃ無いし。 なあ? 最初の なんとなく思いつきで書いた2行くらいを、わしの人生観を変えた書 なんて信じている人がいるとイケナイので 一応 言っとくと、あれ、テキトーでたらめだから。 これ読んでる人 分かんないだろうけど、今日 桜満開でさあ。 そりゃさ。行くわさ。 ね? ま、いいや。 とりあえず、なんか書いたから、これ送って、それ牛社長が見て、なんか思ったら直すだろうし。

おい。牛社長。 これ載っけるのはいいけど、ちょっと別の表現のものも、載せられるスペースか容量くれ。 わしの持ってる中で、公序良俗に問題無いやつ ひとつ 出してみたいから。 うーーーん。 酔った思いつきで、こんな事 言い出していいのかなあ。 ま、いいか。 何とかなるのかならないのかは、そんなもんは、やってみなきゃわっかんねもんね。

あー だめだ。もう寝る。 んじゃ そゆことで。 ばいばい。

【原文ママ】

2008年3月30日 ぶらぢま太郎

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