■キム・ヒョンテ・インタビュー

インタビュー前編からの続きです。

――韓国と日本の双方で仕事をしながら、何か違いや特徴を感じることはありますか。

日本は、絵を描く人たちの層が厚いですよね。アニメを作る人もいれば、漫画を描く人、イラストを専門的に描く人もいたりして。でも、現在の韓国では、職業的に絵を描く人のほどんどがゲーム業界に勤めています。そもそも、韓国ではイラストレーターを必要とする市場がありませんでした。もちろん日本でもイラストレーターそのものの需要がそんなに大きいかどうかは分からないんですが、とにかく韓国は日本よりもずっと難しい状況だったと思います。

いまでも“イラストレーター”という職業の人がそんなに多いとは言えませんが、オンラインゲームではパッケージゲームに比べると必要になるイラストの数も多いし、アイテムやキャラクターがアップデートされるので、継続的にイラストが必要とされますよね。それで、オンラインゲームの隆盛とともにイラストを描く人が必要になったんです。

――逆に言えば、韓国ではオンラインゲーム以外でイラストを描くという仕事は減っているという事情がありますよね。

韓国で絵を描く人の数が増えたことには、二度にわたるゲーム市場の盛り上がりが大きく影響しています。現在はオンラインゲームが中心になっていますが、その前にはパッケージゲームの時代がありました。インターネットのブームで、パッケージゲームは完全に下火になりますが、オンラインゲームでふたたび盛り上がります。ゲームへの投資も増え、それを楽しむ文化もできました。日本やアメリカとはまたべつの、オンラインゲームを中心としたゲーム市場ができあがったのです。

――もうひとつ、1990年代後半から韓国のマンガ市場が下火になったとことも、ゲーム市場が絵描きの世界の中心になった理由ですよね。キム・ヒョンテさんも、はじめはキャリアをマンガ家として出発しようとしていたわけですが。

そうですね。マンガもそうですが、アニメーションもいろいろな理由で大衆化に困難を感じていました。でも、ゲームは後発ではありましたが、二度の盛り上がりで市場を形成することができた。パッケージゲームの時代に色々なゲーム会社がでてくる中で、少なからず企画者やプログラマー、グラフィックデザイナーといったゲームクリエイターが育ちました。さらにオンラインゲームが盛り上がったことで、ゲーム業界に多くのコンセプトデザイナーが誕生しました。それが現在韓国で活動している多くのイラストレーターが歩んでいる道だと思います。

――キム・ヒョンテさんは、パッケージゲームでもイラストレーターとしてのキャリアを積まれていますよね。

SOFTMAX社は、韓国では珍しくパッケージゲームに力を入れている会社でした。そのため、一般的な韓国のオンラインゲームとは違う、キャラクターのイラストを掲げてマーケットを展開する日本のゲーム会社に近いスタイルをとっていたのです。このスタイルが、日本で私が受け入れられることになった大きな要素だと思います。現在、韓国でオンラインゲームを作っているデザイナーにも素晴らしいイラストレーションを描く人は多いのですが、コンセプトデザイナーというのは、やはり見せる目的で一枚のイラストを描くわけではないですから……。

――「コンセプト」ですからね。

最近では少し変わってきていますが、イラストを見せるのではなく、ゲームの世界を作るために描いているものですから。私は、韓国では珍しく日本式のゲーム作りを経験してきたというわけです。

――「絵描き」としてのキム・ヒョンテさんにいろいろお聞きしたいと思います。作品は、最初からパソコン上で描いているんですか?

いえ、下絵は鉛筆で。製図用シャープペンシルでB4の複写用紙にスケッチをします。それをスキャンして、フォトショップ7.0でいじってペインター6.1で作業します。最新バージョンも出ましたが、まだ6.1が自分的には合っているので…。3D MAXはバージョン6を使っています。

――アナログで色を塗っていた時期というのはありましたか。

かなり早い時期からCGで描いてましたから、カラーをアナログで作業したことはあまりなかったですね。一応ポスターカラーやアクリルでも描いた事があるにはありますが、CGを始めて10年以上経ちますから…。ドット絵の時代からです。

――最初からツールはフォトショップだったんですか?

その頃は……あまり昔だったので(笑)本当に初めてのCG体験は、Dr.Halo(8bitパソコン時代の2Dビットマップエディタ)からです。MSXの時にはDD倶楽部(日本のT&Eソフトが発売したMSXパソコン用グラフィックツール)とか。PCの時代にはDeluxe Paint(1985年にAmigaパソコンでヒットし、後にPCに移植されたグラフィックツール)……。まあ、今の形でCG作業をする様になったのは、フォトショップを使う様になってからですね。

――どれも懐かしい、有名なソフトですね。私もそうですが、多くの人が使ったことや憧れたことがあるものです。そういった基盤の上に現在のキム・ヒョンテさんがあるわけですが、そもそも、絵を描くようになったきっかけというのはなんですか?

子供のときから自動車や飛行機、地下鉄なんかの絵を描いていて、とにかく手を動かして何かを表現するのが好きでした。それでマンガやアニメーションにも自然に親しむようになりましたが、中学~高校のころ、韓国に海外のマンガが輸入されるようになったことで、それまで見てきたものとは全然違う、様々な作品に触れる機会を得たんです。たとえば日本の『ドラゴンボール』とか……台湾のマンガも輸入されましたし、アメリカの『HEAVY METAL』など、欧米のマンガ雑誌も入ってきて、絵で表現できる世界とは、こんなにも広がりを持っているのか! と感じました。また、同じように考えている友達もいっぱい出来ましたし。

現在では、日常的に日本やアメリカのマンガを目にしますが、当時はそういったものを「知っている」というだけでお互いに大きく共感できました。そういう人達が集まって感想を語りあったり、自分達もできるんじゃないかと創作に向かったりしたんですね。私も、皆で集まってはお互いの絵を見せあい、自分が目指す表現を語りあっていました。その頃の仲間が現在もゲームの世界で活躍していますが、そういったやりとりが、私が絵を続ける原動力になったんですね。




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