■AKIHITO・インタビュー

――「ナルニア国物語」メーキャップ部門でのアカデミーノミネートおめでとう御座います! この作品ではどのようなメーキャップを担当されたのでしょう。

ナルニア国物語
ナルニア国物語
ナルニア国の誕生から滅亡までを描く全7作のシリーズとして、1950年から1956年にかけて出版され、これまでに全世界で8500万部発行されている。『指輪物語』『ゲド戦記』と合わせ、世界三大ファンタジーの一つとも言われる。
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今回は残念ながら特殊メイクの仕事はしていませんが、その基となるデザイン、彫刻と色塗りを担当しました。アメリカでは大きなプロジェクトになればなるほど、分業制がはっきりしています。またメイクアップで現場、スタジオに参加できるのは、メイクアップユニオンのメンバーでなくてはいけません。自分は、まだユニオンに所属しておらず、当時は語学力もまだまだだったので残念でしたね。

――制作に関わられた中で、苦労した点などはありましたか?

規模が大きかったので、外国人スタッフの名前を覚えるのが大変でした。工房には、多い時には120名くらい雇われていましたので。

あと、「ナルニア国物語」はアメリカではとても有名な小説ですが、自分は読んだことがなかったので、キャラクターデザインのイメージがなかなか掴めなかったことぐらいでしょうか。逆に、アメリカ人スタッフは子供の頃から親しんでいる世界なので、自分の中のイメージと監督が提示するキャラクターとのギャップに、随分悩んだり怒ったりしていました。(笑)

WETA(ウェータ)
ニュージーランドにある特殊効果スタジオ。CGを手がけるWETA Digitalと、特殊メイクなどを手がけるWETA Workshopの2社で構成されている。「ロード・オブ・ザ・リング」のピーター・ジャクソン監督によって設立された。

――今回の作品は、ニュージーランドのWETAワークショップで作業されたのですか?

撮影はニュージーランドで行われていましたが、WETAで作業したというわけではないんです。WETAが「キングコング」の制作で忙しかったので、自分が働いている特殊メイク工房「KNBエフェクツ・グループ」に仕事を依頼した形で、WETAがCGとコスチューム、KNBが登特殊メイク、特殊造形の全てを担当しました。

――どういった経緯で、海外で仕事をされるようになったのですか?

文化庁の在外研修制度に合格したのがきっかけです。国からの援助金をもらって、海外で研修できる制度ですね。

――日本と海外では、仕事のやり方、考え方で異なる部分がありますか?

一番大きな違いは、制作環境の違いです。材料は湯水のように使えるし、人材も多く揃っています。日本では残業が当たり前で、仕事後もつきあいがあったりしますが、海外では、残業するぐらいなら、朝早く来て仕事するのが普通です。ちなみに今働いているKNBの勤労時間は朝7時から夕方4時までです。一番早く来る人は5時半に来て、仕事始まりの7時まで、個人のプロジェクトをして、時間を上手く使っています。

――AKIHITOさんが作品を創る際に、発想の源となっているものは何でしょうか?

H.R.ギーガー
スイス生まれの画家で、生物的なモチーフの不気味な作風で知られる。映画史上最高ともいわれるモンスター、エイリアン(映画「エイリアン」シリーズ)をデザインしたことで有名。

何ですかね? 自分でもよく分かりません。美術、アート、映画、音楽、どれをとってもそんなに詳しくありません。作品を作る時に、ひたすら考えて、ふと浮かんだデザインが素になっています。あとは手を動かしながら作っていく感じですかね。

――影響を受けたアーティストはいらっしゃいますか?

特殊メイクの仕事を初めた時は、H.R.ギーガーから大きな影響を受けました。最近の作風は、野波浩さん(写真家。江角マキコ写真集「E-MODE」などで有名)からの影響が大きいと思います。色彩感なんかはジミー大西さん(画家。吉本のお笑いタレントだった)ですね。

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