■糸曽賢志氏インタビュー

――現在、アニメーション・映像・CGと幅広く活躍されていますが、そもそもその映像表現やアニメーションをやろうと思ったきっかけはなんでしょうか?

母が画家なので、その影響が大きいです。あと、もう一つ大きなきっかけになったのは、小学校5年生時にやっと買ってもらった、鳥山明先生の『ドラゴンボール』です。

――大学時代は在学中からIKIF+に所属という事でしたが、その辺りの経緯を伺えますでしょうか

その当時、デザイン学科の講師として木船徳光さんがいらっしゃいまして「アニメーション」という授業があったのでそれに参加していました。その時までアニメは全然わからない分野だったので、木船さんや石田さんのお名前も全然知らなかったんです。

IKIF(アイケイアイエフ)
木船徳光、石田園子の2人による映像制作ユニット。制作会社IKIF+(アイケイアイエフプラス)として映画「イノセンス」や「ドラえもん のび太の恐竜2006」などのメジャータイトルで3DCG制作を手がけている。

――当時かなり実験的なアニメーションをやられている方々でしたね。

ある授業の時に、自分たちが携わった仕事という事で『攻殻機動隊』のムービーを観せてもらったんですが、ボクはそれを観た時に『こんなもんどうやってつくったんだ!』と非常に衝撃をうけたんです。

――それはどんな映像だったんでしょうか?

2Dと3DCGが使用されている綺麗な映像でした。それから先生に「仕事場を見学させてください」ってお願いしていたんですが、ある時「じゃあ来てみる?」と言ってくださったので職場を見学させてもらいました。『PROJECT-WIVERN』という作品をつくっていた青山さんや、先輩方がそこで働いていらっしゃったんです。それで『是非ここで勉強させてください』とその場でお願いしまいました。

PROJECT-WIVERN
(プロジェクトワイバーン)
青山敏之と北田清延によるオリジナル3DCG作品。WAVYAWARD’97で最優秀賞受賞。’96 DoGA-CGAコンテストで公開された予告編は、圧倒的なクオリティで当時のCGアニメーション界に大きな衝撃を与えた。

――大学時代に携わった作品として印象的なのは『サクラ大戦2』のオープニングだと思うのですが、これはどういう参加の経緯だったのでしょうか?

ボクがソフトの基本的な事を覚えた頃、先生からちょっと大きな仕事をやってみないかという話を頂きまして、それが『鉄拳』だったんです。それから少し経った頃に再びお話を頂いたのが『サクラ大戦2』でした。プロジェクトの開始から終了まで関わらせてもらいましたので、トータルで2年くらい参加してました。

――その当時で印象に残っている事というと、どんな事でしょうか。

制作期間中に木船先生に言われたのは『今回は2Dと3DCGを違和感なく融合させたい』という事だったんです。それを今まできちんと出来ているところはほとんど無いから開発したいという話で……『Lightwave』のセルシェーダー(アニメのセル画調に処理する3DCGの手法のひとつ。)という機能を駆使して、劇中に登場する3DCGメカを2Dの中になじませるという方法を使用しました。

――その後、宮崎駿さんが募集した『演出家オーディション』を受けられたと聞きました。

正式名称は『東小金井村塾』というのですが、宮崎さんはちょうどこのとき『もののけ姫』の後で、映画監督を引退しますという事をおっしゃっていたんです。で、若くしてこういう道を志す人に色々なことを伝えたいので『私が直接指導にあたります』と、オーディションの宣伝をうたれたんですが、ボクが宮崎さんのファンだったという事もありまして、これを受けてみようと思いました。

その時のお題が『あなたが映像化したいイメージの断片を一枚と、それに付随する作文』というものでした。ボクはその時に『自然』というものに興味を持っていまして、自分なりに気持ちを込めて送ったんです。そうしたら『面接に来なさい』という通知をいただきまして……。その面接が集団面接だったんですが、審査員は鈴木プロデューサーと宮崎さんだったんです。で、その面接の時にボクが最初に思ったのは、時間が無いから集団面接をした訳では無いなと……。これはコミュニケーション能力を見るという目的ではないかと思ったんです。

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