ライトノベル&イラストレーション外伝 平成の奇書、現る!『空想東京百景』ゆずはらとしゆき&toi8インタビュー

平成の奇書、現る!『空想東京百景』ゆずはらとしゆき&toi8インタビュー

■幻の作品、奇書となる!

第1期「空想東京百景」は、月刊で5回連載されましたが、掲載誌の休刊とともにいったん沈黙します。第2期シリーズとして復活を果たしたのは、2004年刊行の「ファウスト」Vol.04に掲載されたフルカラー短編「Beltway~環状線は緑に葬られ」。原作/ゆずはらとしゆき、作画/toi8コンビのマンガ連載としての再始動でした。そこで、シリーズ再開から、講談社BOXで単行本化されるまでの経緯を話していただきました。

ゆずはら 第2期シリーズは、「ファウスト」Vol.04~Vol.06、「コミックファウスト」にマンガとして掲載されたんですが、すべて合わせても90ページくらいしかないので、そのままだと単行本にはならないんですね。担当さんの方も、幻の第1期を読んでいないと第2期のストーリーがまったく理解できないことを承知の上で載せていたので、単行本が第1期と第2期の総集編になることは早い段階で決まっていました。/

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ですが、B5版の雑誌に掲載されていた第1期を、そのままB6版の講談社BOXに載せるのはレイアウト的に無理があります。そこで、デザインを新しく作り直すことになって、再びヨーヨーラランデーズさんと相談した結果、今度はサイドに縦書きでイラストに対応するテキストを抜粋した洋画字幕風になりました。それに伴って、非常に簡潔なシナリオ形式だった1期のテキストを大幅に加筆して、小説形式にしました。

改稿された第1期シリーズ、「ファウスト」に連載された第2期シリーズに加え、単行本には書き下ろし作品もいくつか掲載されています。特に、80ページにわたる「七つの顔と喰えない魂」は、イラストと小説が有機的に融合しており、小説でもマンガでもない、まさにイラストーリーという、本書の中で最も実験的で前衛的な作品になっています。この「奇書」の中の「奇作」というべき作品は、どのように生まれたのでしょうか?

ゆずはら 講談社BOXというレーベルは、プロ野球に例えると読売ジャイアンツみたいなところで、舞城王太郎さん、西尾維新さん、奈須きのこさん、竜騎士07さん……レーベルの四番バッターやエース級の作家ばかり集まっていたんですよ。なんとか単行本化は決まりましたが、そんなレーベルにドラフト六位でこっそり入ったような無名の新人作家が普通に小説を書いても売れるわけがないですから、単に文章を書くだけではなく、トータルでアウトプットまで考えた単行本にするしかないと思ったんです。

あと、ライトノベルはイラストを重要視しているジャンルなんですが、テキストとの連携に於いては実験的な本が少なかったんですね。ぼくはマンガ原作者から小説の世界に迷い込んだ人間なので、その辺が不思議だな、と思っていたんです。思い当たるところでは、古橋秀之さんと前嶋重機さんの「蟲忍」(徳間デュアル文庫)くらいかなァ。講談社BOXの母体となった「ファウスト」も「イラストーリー」という言葉を使っていましたが、ぼくとtoi8さんが描いていたのも普通のマンガで、うーん、あんまりコンセプチュアルじゃないなァ、という気持ちはありましたね。

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「ファウスト」でマンガとして展開されていた「空想東京百景」第2期シリーズですが、その経験も生かされているのでしょうか?

ゆずはら 単行本のコンセプト的には多彩になったので良かったんですが、連載していた当時はちょっと首を捻っていたんですよ。講談社の担当さんには「マンガは描きたくない構図も描かなければならないから、イラストレーターの実力がつくんです。だから、toi8さんにはマンガを描いてもらいたい」と言われていたんですが、キャラクターしか描けない新人さんならいざ知らず、toi8さんの場合は「釈迦に説法」なんじゃないかな、って。「マンガも描けた方が、仕事の幅は広がりますよ」というのは、確かにその通りなんですが、イラストとマンガは、同じ絵でもやっぱり違うものだと思うんです。

実際、toi8さんはかなり苦労されていて、ネームの形態も二転三転していました。アニメの絵コンテのような形で送られてくることもあれば、普通にコマを割って送られてくることもありました。そうして試行錯誤する中で、限界や制約がいろいろと見えてきたので、書き下ろしの「七つの顔~」では、そうした制約を取り払った作品を作ってみたいと思ったんです。

toi8 コマを割るという作業には、どうしても慣れませんでした(笑)。

ゆずはら あと、ぼくの作風が変化して、マンガ原作向きの書き方ではなくなってしまった、というのもありますね。第1期の頃はマンガ原作者がメインだったんですが、気がついたら、ガガガ文庫の「漆黒のアネット」など、小説の仕事の方が多くなっていたんです。それに伴って、描写やテキスト量が増えるなどの変化がありましたし、「空想東京百景」も連載を続けるうちに世界設定が増えてきたので、32ページの読み切りマンガというフォーマットでは上手いこと情報が収まらなくなったんですね。その辺の変化も、toi8さんのネームでの苦労に繋がっていたのだと思います。

そこで、どんなフォーマットが最適な形なのか、いろいろと調べていたんです。山川惣治の絵物語や、カストリ雑誌(終戦直後の出版自由化を機に、大量に創刊された低俗な大衆向け雑誌のこと)などもあたって、最終的にこれがいいんじゃないかな、と思ったのが、昭和四十年代の「文藝春秋漫画讀本」に掲載されていた、長尾みのるさんの「革命屋」という作品でした。全編二色刷りで、イラストとテキストが不可分に混在していて、奇しくも「ファウスト」と同じく「イラストーリー」を名乗っていた。これは面白い、これで行こう、ということになったんです。

あと、エディトリアル的には、カート・ヴォネガット「チャンピオンたちの朝食」や、矢作俊彦さんの「スズキさんの休息と遍歴~またはかくも誇らかなるドーシーボーの騎行」を参考にさせていただきました。実際にはDTPシステム上の問題もあって、そんなに凝ったことはしていないんですが、飾り文字を駆使したり、縦書きの本文中にいきなり手描きのカットが入ったりという構成が面白かったですね。

具体的には、どのようにやりとりをされたのでしょうか?

ゆずはら まず、第一稿のテキストをtoi8さんに渡して、レイアウトも含めて、ネームに起こしていただきました。この第一稿は最終稿に比べると描写がやや少なくて、プロットと小説の中間ぐらいの分量ですね。単行本のスケジュール調整も含めた打ち合わせは何度かしているんですが、書き下ろしの内容について緊密に打ち合わせをしたのは、toi8さんに「革命屋」をお渡しした一回目だけですね。制作期間が一年と長かったこともあって、お互いに上がってきた原稿を見ながら熟考して、アンサーを返していく、という流れでした。

このエピソードの主人公になっている〈氷室卓也〉の設定も、実は途中で変わっているんです。第一稿では銀髪とメガネの理知的な風貌と設定していたんですが、toi8さんから上がってきた絵ではわりとやさぐれた雰囲気の青年になっていたので、テキストの方を修正しています。

toi8 「革命屋」自体は面白い本だったんですが、描いているうちに自分のデザインセンスのなさに気づきました。テキストが入るフキダシなんかは、自分の方で配置したんですが、考えが足らず、テキストが収まらなかったりなんてこともありまして……。

ゆずはら なので、イラストをいただいてからテキストを入れ替えたりもしていました。たとえば、イラストに対してテキスト上での描写が不足しているなと感じたら、あとからテキストだけのページを作ったりして補足したりしています。

最終的には、講談社BOX編集部へ連日通って、直接、DTP担当のオペレーターさんに文字の位置や大きさの修正指示を出していました。あと、飾り文字がパン!と出るようなページは、フォントディレクターでもあるヨーヨーラランデーズさんと連絡を取って、調整しています。

実はDTPの心得はまったくないんですが、学生時代に趣味でレイアウトデザインの勉強をしたり、サラリーマン時代にディレクター仕事でデザイナーさんに指示を出していたことがあったので、その経験が役に立ったのではないかと思います。もっとも、講談社BOX編集部という環境以外で、こんなでたらめなことはできなかったと思いますが――。

単行本「空想東京百景」の誕生は、作家とイラストレーターのがんばりだけでなく、デザイナーとのやりとりや、編集部の体勢も含めた、多くのファクターに支えられていたことがわかります。

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